春、バーニーズで
「もしもあったら、
絶対にあるはずはないのだが、
もしもあの腕時計があったら―
ふとしたはずみに もうひとつの時間へ」
![]() | 春、バーニーズで (文春文庫 よ 19-4) (2007/12/06) 吉田 修一 商品詳細を見る |
そんな帯に惹かれて、先日買った本。
なかなか読めずにいたので、休日に一気に読んでしまうことにしました。
主人公、筒井は妻と幼い息子とともにシャツとネクタイを買うため
新宿のバーニーズに訪れます。
そこで、筒井は他の客とふと目が合ってしまう。
まさか。
そんなはずは。
それは、昔一緒に暮らしていた「あのひと」だった―
選ばなかったもうひとつの人生。
平和な家庭を築き、万事うまくいっているかのように
見えていた筒井の人生に、ざわめきが訪れる。
…と、ここまで書いたらちょっと胸がキュンとして来るやないですか。
が。
が、ですよ。
その、バーニーズで出会った昔同棲していた「あのひと」ってのが、
オカマバーのママかい!
おい!
って本に向かってツッコんでしまいました。まさかの展開に辟易。
バーニーズで出会った「そのひと」は、別の若い恋人にスーツを選んであげています。
まるで、昔の自分を見ているような気分になります。
幼い息子を連れた筒井は、「そのひと」に声を掛けることにしました。
久々の再会。
だからといって嬉々とした様子でもなく、冷たさもない。
ただ、過ぎ去った時間がすきま風となって二人の間を吹き抜ける。
かつての二人の生活を捨て、マンションを出たのは筒井の方。
「なんの苦労もなく生活だけはできたその場所を、
逃げ出す理由さえ見つけられない自分に焦り、そして怯えて、
飛び出してしまったのかも知れない」 と。
でも、すべてのことは過去なのだ、と片付けられる冷静さが、
むしろ微笑ましく思えたくらいでした。
今と昔は、相容れない。
時は流れてしまうもの。
当たり前のことなんだけど、それは悲しくもあり、また、たくましくもある。
私が一番好きなのは、「夫婦の悪戯」という章。
筒井と妻は、旧知の友人の結婚式に出席した夜、ふたりでホテルに一泊します。
ワインを飲んでくつろいだあと、妻がひとつの提案を持ちかけます。
「だから遊びよ、遊び。
…お互いに1つずつ嘘をつくの。絶対に嘘しかついちゃいけないのよ。」
「これ、ゲームだろ?どうなったほうが勝ちだよ?」
「そうね、じゃあ、相手により強い衝撃を与えたほうが勝ち。
そんなの、お互いの顔を見てればわかるでしょ?」
たわいない作り話で笑い合う、そんなゆるーい遊び。
相手を驚かすのなんて、簡単なことだ。
「…俺な、若いころ、男と同棲してたことがある。
相手はオカマバーのママで、しばらくの間食わせてもらってた」
一瞬の間。
「狼が来たぞ!」
そう言って、村人たちを困らせてきた少年のように。たわいない嘘だ。
妻の顔がきょとんとする。
そして、不安そうな顔にかられる。
「う、嘘でしょ…
あ、そうか、嘘だ。嘘なのよね」
と、慌てて平静を装うけれど、動揺はつくろえない。
「ほら、お、お前の番」
「…えっと、ええっとね、あ、そうそう。私ね、若いころ…」
…
妻の嘘に筒井は思わず「嘘だろ?」と聞き返しそうなり、その言葉を飲み込む。
勝負は、引き分けで終わるのですが。
しばらく続く沈黙…
この辺のスリリングな面白さは、本でお楽しみくださいね。笑
これ、ドラマだったら面白そうだなぁ。
あとね、面白かった言葉がある。
筒井が、無下に言ってしまったぞんざいな言葉を
ああ言うべきだった、こう言うべきだった、と後悔している場面。
言葉を推敲している自分を、まるで銀職人のようだと彼は言う。
「ちょうど銀食器をつくる職人が、製品の形を整えるように、
表面を均一に、出っ張りや歪みを矯正するため、
何度も何度もハンマーで叩き、美しく彫琢するように。
―プラナージュ。
確か、その作業のことをプラナージュと呼んだはずだ。」
人生にはたくさんのプラナージュがあるね。
選択の度に、そんな試行錯誤にぶつかる。ああでもない、こうでもないと呟きながら。
最終章。
高校時代に無くした思い出の品を探すため、筒井が突然
会社を無断欠勤してドライブに出るシーンがあります。
ひとりの平凡な人間が、たった8時間、いるべき場所からいなくなるだけで
26件ものメッセージが携帯に残されるのか。と筒井は驚嘆する。
あ、あんた、冷静やな!
と、またツッコんでしまいました。
みんな、子供の頃に見つからなかった探し物をたくさん抱えている。
普通なら見過ごしそうな―
日常に隠された光景を描き出すのがとても上手な作者だと思います。
たった190ページの本だけど、中身はしっかり詰まっています。
他に面白いシーンは沢山あるのだけれど、紹介しきれないのが残念。
私が突然失踪したら、何件くらいのメッセージが携帯に入るんだろう?
で、こうやってブログに書くとマジ失踪するんじゃないかと
心配されそうな気がしてならないけど。いやいや
ちゃーうやん、ちゃうやん。
“If ... ”のつくり話。たわいない嘘なのですよ。笑
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